雑記(仮)

仕事や私生活など日々の中で感じた事。詩的よりも散文的に

タクシー運転手に転職をしていた元ヤンの鈴木さん

 その日、地元に帰省していた私は高校生時代の先輩が経営をしているバーで飲んでいた。

時間も午前2時に差し掛かったので帰ろうと思いタクシーを呼んで貰ったら、迎えにきたのはタクシー運転手に転職をしていた鈴木さんだった。

彼は私が高校1年生の時に働いていたガソリンスタンドの社員だった。

元暴走族。10代で子供を作り、毎日同じウインドブレーカーの上下を身に纏って、軽自動車に乗って通勤をする、湘南にありがちな居る元ヤンだ。

昔に流行っていたバラエティ番組、ガチンコファイトクラブ1期生の網野さんに似ている。

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鈴木さんは真面目に仕事に取り組む方なのだが、アルバイトの指導が厳しく、せっかく新しいアルバイトが入っても、皆を辞めさせてしまっていた。
お客さんには愛想がよく丁寧な応対が出来ていたので、恐らく、性格の問題なのだろう。

よく「若いやつはすぐに辞めて根性がないですよ」とタバコを吹かしながら他の社員と談笑していた姿を覚えている。
ガソリン価格の高騰により店舗採算が難しくなる中、アルバイトの募集広告は常に出されていた。

 

私もほどなくして、彼と働くことが嫌になり辞めることにしたのだが、最終出社日後にユニフォームを返しに行ったら軽い揉めごとが起きた。

洗濯して来たユニフォームに対して「クリーニングに出して返すのが常識だろ!」とすごい剣幕で怒鳴られたのである。

「最初に渡されたユニフォームはクリーニングがされていなかったのに、おかしくないですか?」と反論して事なきを得たのだが、彼は納得が行かない顔をしていた。

これが彼との最後の会話であり、あまり良い思い出ではない。

 

 話を戻そう。

バーに到着したタクシーに乗り込んだ私は、笑顔の運転手さんから丁寧な口調で語られる「行き先はどちらですか?」という質問に対して、顔を見ずに実家の住所を告げて出発して貰ったのだが、すぐにいつか聞き覚えのある声であることに気が付いた。

まさか...。と思いつつ、ゆっくりと助手席のヘッドレストの後ろに付いている運転手紹介に目を向けると、見覚えのある名前と見たこともない鈴木さんの笑顔がそこにあった。

私が辞めてから数年後にガソリンスタンドは潰れてしまったのだが、彼はタクシー運転手に転職をしていたのだ。

 

これには心底驚いた。

元暴走族で傲慢な鈴木さんがタクシー運転手として、私に笑顔で接客をしているのだ。

しかも、接客が丁寧な方が少ないタクシー業界において、彼の口調や運転は質がよく、とても馴染んでいた。

 

そんな彼に対して、果たして声を掛けて良いのだろうか?と迷った。ただのアルバイトではあったが、以前に使っていた部下をタクシーで送ることは、彼の自尊心を傷つける上に、なにより喧嘩別れをしている手前、気まずい思いをさせてしまうだろう。

その様なことを逡巡した結果、私はスマートフォンに夢中で気づかないふりをしながら、道中を過ごすことにした。自宅まではわずか10分弱であり、ずっと操作をしていても不思議ではない。

この選択は正解であり、彼はお客さんと世間話をするタイプではなかったので、タクシー内静寂を保ったまま、実家に到着した。

自宅まで掛かった運賃を読み上げる彼の口調は相変わらず丁寧であったが、不思議と視線を助手席に落としたまま身体を半分ひねって左手を後部座席に伸ばしてきた。話し掛けられたら気さくに応じようと思っていたが、好都合にも私の顔は鈴木さんから見難い格好となり、私も下を向いたまま財布からぴったりの金額を支払った。

いそいそと降りようとする私に対して「お忘れ物がない様に確認の上、ご降車ください」と丁寧な口調で投げかける彼に対して、私が「ありがとうございます」と言いながら降りた時、バックミラー越しに合った彼の目は、口調とは裏腹に笑ってはいなかった。

 

きっともう鈴木さんと会うことはないだろうが、彼がもし、私に気付いていたのなら、どう思いながら運転をして、丁寧な言葉を話していたのだろうか。確認するすべはない。

ブルックリンの恋人たちを観に行って

プラダを着た悪魔の監督アシスタント(当時)と同作の主演を務めたアン・ハサウェイが自らプロデューサーとして作り上げた本作。

色々と書き出してみたが、なんとも感想が無いのが感想。

下書きでずっと眠っていたので、単なる備忘録になってしまった。

 

3月14日(土)晴れ  

20:00

社長から朝に降って来た仕事が思いのほか早く片付いたので、気分転換に

映画でも観に行こうと思い、TOHOシネマズ六本木のサイトへアクセスをした。

 

アン・ハサウェイが「プラダを着た悪魔」のスタッフと組んだ恋愛映画が話題になっていたな。とうろ覚えで画面をスクロールしたら、見つかった。

「ブルックリンの恋人たち」と言うらしい。

タイトルの意味は良く分からないが、まあ良いか。さして考えず今夜観る映画を決めた。

丁度、21:15開始の席が空いていたのでさっそくWeb決済を行い、F11番と

良い席が取れたのだが、画面を観るとどうやら両隣りはカップルらしい。

別に男が1人で恋愛映画を観に行っても何も問題ないだろう。

デスクに広げていたTinkpadを鞄に仕舞い込んで足早にオフィスを出た。

 

大江戸線六本木駅の出口を駆け上がると、何時もの六本木の風景が広がっていた。

前職の子会社が近くにあるのでこの街には昔から良く来ていたが、何度来ても慣れないところだ。

そんな事を思っていたが時間が迫っていたので、酔っぱらって足元がふら付いている若い男性集団をしり目に、六本木ヒルズへと急いだ。

 

TOHOシネマズのロビーは、ホワイトデーの夜という事もあって、多くのカップルで賑わっていた。早速、発券しようと機械に向かったら、端正な顔立ちをした美男美女と擦れ違ったので、つい目で追ったら顔を背けられてしまった。

恐らく、芸能人かモデルなのだろうが、テレビも雑誌も観ないので誰だか分からなかった。

昼過ぎから何も食べていなかったので、売店でチキンサンドとビールを買った。

1,100円。

 

21:15

上映時間となったが、実際に開始されたのは15分後の21:30からだった。

それまでの間はこれから公開される映画の宣伝や相変わらずの映画泥棒の映像が流れた。

1人で観に来ると、この時間は酷く退屈に感じる。

お金を支払っているのに、強制的に広告を観させられているのは良い気分ではない。

お腹が減っていたのでチキンサンドはすぐに平らげてしまったが、暗がりで気づかなかったのか、手にはソースがびちゃっと付いていた。

服に垂れない様に慎重に腰を浮かせた私は、ジーンズの後ろポケットからティッシュを取り出すと丁寧に拭った。

そんな事をしている間に本編が始まった。原題は「Song one」

「ブルックリンの恋人たち」よりはずっと良さそうじゃないか。

 

あらすじはこうだ。

モロッコで生活しながら人類学博士号を目指すフラニー(アン・ハサウェイ)は、ミュージシャン志望の弟のヘンリー(ベン・ローゼンフィールド)が交通事故で昏睡状態に陥ったため、急遽家族が暮らすニューヨークへと戻ってくる。大学を辞めてミュージシャンになると言った弟に反対し大喧嘩になって以来、疎遠となっていたフラニーは、弟の意識が戻る可能性は低いと医者に聞かされ動揺する。弟の部屋でみつけた自作の曲を初めて聴くと、それは人の胸を打つ素晴らしい曲だった。自分が今まで弟のことを何も知らないでいたことを悔やみ、彼が何を感じてきたかを知ろうと、フラニーは弟の日記を手に、バイトをしていたギター店、ガールフレンドと一緒に行った食堂、ライブハウスなど足跡をたどっていく。そしてある日、ライブハウスで彼が憧れるミュージシャンのジェームス(ジョニー・フリン)と出会い、音楽を通して互いに惹かれ合っていくが―。

 

 出典:アン・ハサウェイが語る、プラダを着た悪魔のスタッフと手掛けた映画『ブルックリンの恋人たち』 | ニュース - ファッションプレス

 

弟のヘンリーは大学を中退してミュージシャンを目指しているのだが、恐らく才能は無いのだろう。折角Youtubeにアップロードしている動画の再生数も243回と寂しい。

映画の冒頭で、地下鉄構内の道で弾き語りをした帰り道、ヘッドフォンを付けたまま道を渡ろうとした矢先に交通事故に遭遇してしまい、昏睡状態に陥ってしまう可愛そうな弟だ。

 

皮肉にも彼が行く予定だったライブに姉フラニーが代わりに訪れた事で有名ミュージシャンのジェームスと知り合うのだが、フラニーは弟の境遇と自作のCDを彼に渡して、良かったらお見舞いに来て欲しいと彼に伝えるのである。なかなか積極的だ。

 

多くのファンから自作のCDを手一杯に渡されているジェームスからすれば迷惑な話であるが、相手はアン・ハサウェイだ。

勿論、次の日にコーヒーカップを両手に持ってお見舞いに訪れている。きっと、一度病室を覗きに来て、彼女が1人でいる事を確認した上で、買いに戻ったのだろう。

 

このジェームスという男。劇中では、それなりにファンも多く、才能に溢れるミュージシャンである。ディナーを食べているだけでサインを求められる描写から、顔も売れているのだろう。

ただ、ライブの時に魅せるエネルギー溢れる姿とは打って変わって、会話をする時やインタビューでは、相手の顔をあまり見ずにどもりながら話すシャイな男なのだ。

 

劇中でメインで出てくる男性はこの2人だけである。

ありふれた恋愛映画に登場するマチズモやリッチな男性などは出てこない。 

物語は、昏睡状態のヘンリーをかすがいにしながら、フラニーとジェームスは関係を深めて行き、肉体関係に至る。

ラニーが病室で甲斐甲斐しく、音楽を演奏して来た成果からかヘンリーは奇跡的に昏睡状態から目を醒ますのだが、その時にはジェームスは病院から去っており、彼が目を醒ました事を知らず、フラニーとも会わずにブルックリンを去るのである。

 

どうやら1年半前の私はここら辺で書くのを飽きたらしい。

われながらスノッブな文章に恥ずかしい思いだ。

何を伝えたかったのかはすっかり忘れてしまったが、恐らく主人公である女性のアン・ハサウェイが能動的に、男性のジェームスが受動的に恋愛が進んで行く新しいタイプの恋愛映画だったことを伝えたかったのだと思う。